献 杯







「梟王の御代の後半から太平さも名臣たちの存在も全部外して見渡した時、見えるものは

衰退を始めた国家の姿である。

文官達は足の引っ張り合いをするだけ、庶民を救済するための国営事業は大抵官吏の懐に流れ込み、

利権、賄賂、横流しが絶えず、民は苦しんで乱を起こし、有能な武将が功を立てれば嫉妬によって

排斥される。学制の黄金期といわれた梟王の時代に何故このようなことが、とも思われるが、

梟王の時代はこの学制の悪い面が顕著に出てしまった時代とも言えるのではないだろうか。

黄金期であったが故に、梟王の朝廷にはあらゆる階層の人々が入って来た。それより以前の王達の

時代は学制はあってもまだ整っていなかったために、自然、年功の序列で位が決まり、諦念も手伝って

競争もそれほど熾烈ではなかっただろう。しかし、能力主義の梟王の時代では努力すれば出世できる

時代であった。

そこに、人より優れようと努力するよりも上位の者の足を引っ張る方を選んだ者がいたという辺りがまた、

人間の人間たるゆえんであろうか。」

そこまで書いた時、ふと、流れるように進んでいた筆が止まった。

目と机が近い。鳴賢は苦笑して前のめりになっていた体を起こし、一度、背筋を思いきり伸ばした。

それから溜息をついて筆を置き、文章を見直す。

明後日に提出しなければならない課題は、先代の雁の王、梟王の治世についてだった。

それを学制の点から論じようと草案を作っていたのだけれど、どうも感情的になってしまったようだ。

しばらく考えてから、鳴賢はもう一度筆を取り、紙の上を滑らせる。

「学制でもまた不正行為が増え、公平に成績を審査するというよりも、いかに不正行為を防ぐかという

ことに重点がおかれるようになる。」

どうだろう、これで論点が戻っただろうか。

首を傾げた時、

「鳴賢の文章は、論文というよりは小説だな」

不意に、耳に鮮やかに声が響いて、鳴賢は振り返った。

懐かしい声と言葉だった。そう言われたのは、随分と前のこと。

だか、振り返ったそこには、誰もいない。

当然だろう、それはもうここにはいない人物の声だったのだから。

「蛛枕・・・・・・・・?」

蛛枕は先月、大学を辞めて関弓山から出て行ったのだった。

だが、そうと知っていても、鳴賢はその名前を呼ばずにはいられなかった。

「お前の文章は読みやすくて理解が容易だが、論文向きじゃあない」

今はいない友人が、そう言って笑う。

低いけれどよく通る声。いつも座っていた場所。穏やかに微笑む容貌。

鳴賢は苦笑した。

「煩い。じゃあどんな文章を書けば論文になるっていうんだよ」

丁度課題のきりもよく、鳴賢は立ち上がると、酒の入ったつぼを卓子の上に置いた。

そして杯を二つ、向かい合わせに置いて座る。

「楽俊の文章は一見平易だが、内容が深い。それが理想だろうな。

小難しい文章で一見難解に思える文章が論文のように思われているが、内容がなければ意味がない」

「俺の文章は内容がないってのか?」

「そうじゃない。お前の文章は多分にお前の思想と嗜好が混ざりすぎていると言っているんだ」

懐かしい会話。

じゃれあうような言葉の響き。

「論文に必要なのは、事実に基づいた考察と、事実に限りなく近付いた推論だよ」

明晰な頭脳、幅広い知識。それがありながら、蛛枕は落伍した。

老師達が望む答えと書き方を知りながら。

彼は、老師達の望みに追従することはなかった。

いや、そもそも彼に卒業する気があったのかどうか。

彼の目的を図りかねて、鳴賢は一度、尋ねたことがある。

「官吏になるんだろう?」

蛛枕はただ静かに笑っていた。

目的はただ大学に入学し、己の頭脳を試したかっただけなのではないだろうか。

その深く広い知識をさらに深化拡大させたかっただけなのではないだろうか。

鳴賢が蛛枕に対してそう思うようになったのは、いつのころからだっただろう。

蛛枕には、知識と理論だけが全てのようなところがあった。

現実にそぐわない不器用さ。 彼にとっては、事象の推論と実証は同義であった。

推論すれば、それを実証する必要を感じないのである。

たとえそれが一致しない場合であっても、だ。

「どうして、一緒に卒業してくれなかったんだよ」

杯を重ねながら、鳴賢は問う。

最後まで問うことの出来なかった問いを。

もういない友人に向かって。

「卒業の仕方も、知っていたくせに・・・・・・」

記憶の中の蛛枕はただ、笑うだけ。

卒業することが出来ない自分。そして、自ら卒業することを放棄した蛛枕。

「ずるいよなぁ・・・・・・自分ばっかり格好つけやがって・・・・・」

蛛枕が簡単に放棄していったものを、これほどまでに欲している自分。

「明日は我が身・・・・・か」

以前、己自身が口にした言葉を、鳴賢は呟いた。

だが、我が身ではない。

自分と蛛枕の間には、とてつもなく大きな溝が広がっている。

「俺は、卒業したいんだよ・・・・・・」

蛛枕は、ただ微笑む。

空気にまぎれて、ただその余韻を残すのみ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」




     *

     *

     *




「鳴賢?」

不意に、こつこつと音がして、聞きなれた親友の声がした。

「・・・・・・あん?」

「夜中にごめんな。今、いいか? ちょっと本を貸してもらいてぇんだけど・・・・・」

扉の向こうからのくぐもった言葉に、鳴賢は躊躇うことなく立ち上がると

「ああ、入れよ」

いっぱいに扉を開けて、鼠姿の親友を部屋の中に招き入れた。

「こんな夜中に悪い・・・・・・」

「いや、どうせ俺も起きてたし。あれだろ? 豊老師の課題だろ?」

「じゃあ、鳴賢もか」

「ご明察。・・・・何の本だ?」

「十三経注疏の三巻」

「官位について書いてるのか?」

「いや、梟王時代の法律の変遷について」

「ああ、お前らしいよな」

鳴賢が笑うと、楽俊も照れたように笑った。

楽俊の法制度に関して特に俊英なことは、もはや大いに知れ渡っている。

鳴賢が本を探す間に、楽俊は卓子の上の杯に気付いたらしい。

「・・・・・・・・・誰か来るのか・・・?」

渡された本を礼を言いながら受け取って、楽俊は首を傾げた。

「いや? なんで?」

「杯が・・・・・・」

「・・・・ああ」

鳴賢は指差された杯を見遣って、違う違うと笑った。

「お前が来るだろうって予想して準備しておいたんだよ。引用文の確認をしたいってんなら、

どうせもう大方草稿が出来てるんだろ」

「・・・一応は」

「じゃあ、付き合ってけよ。俺ももう今日は終わり」

楽俊はちらりと机の上に置かれている草稿を見た。そして何やら口を開きかけたが、

「・・・・・・・・・・・・・・・・うん」

鳴賢の顔を見つめた時、その言葉は飲み込まれた。

「それじゃ、おいらも少しだけ」

「・・・・・ああ」

楽俊は誰かのために置かれた杯の前に座り、鳴賢の酌を受けて、軽く杯を掲げた。・・・・そして。

「美味い」

「・・・・だろ?」

まるで子犬達がじゃれあうような響きにも似て、二人は話し始めるのだった。





























了.

                                                            

2004.5.1.




BACK




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送