見下ろす大地には作物が刈り取られた黒い田畑が広がっていた。

まだ、この辺りは災害も妖魔の出現もないらしい。

金色の髪を改めてきちんと布の中に隠しながら、六太はほっと安堵の息を吐いた。

仁の生き物である自分は、人の悲哀や怨嗟の感情に病む。

で、あればこそ。

生きるために、安逸を望むのだ。

それが永遠という枷であるとも知りながら。

(幾人の王が、玉座に繋がれていることに倦んだのか………)

眼前にあるのは時の重みに耐え切れなかった王によって沈められた国だった。

目指す家はもうすぐそこ。

六太は目を伏せ、泡のようにはじける疑問を追い払う。

地上がみるみる内に近くなる。

貧しい小さな家の儚い点が、ゆっくりと輪郭を作った。

 

 

* * *

 

 

柳へ行ってもらう代わりに、母を迎えに行きたいという楽俊の願いを引き受けた六太は冬の巧国へ

来ていた。

見渡せる土地は冬の景色。

荒んだ様子はまだ、ない。

里から離れて一軒ぽつりと建つ家の前に辿り着いた六太は扉を叩いた。

そこは楽俊が一人、習い、育った家だった。今は母親一人が住んでいるという。

軋んだ音を立てて扉が開いた時、六太は少し驚いた。

といっても、相手の方も充分驚いたようだったけれど。

「あの、楽俊の母ちゃんは…………?」

扉から顔を出したのは三十半ばの男だった。

悪い顔立ちではない。むしろ、品が良さそうで優しげな雰囲気を持っている。

その男は不思議そうに六太をまじまじと見た。

「君は………?」

「六太。楽俊の友達だけど」

「楽俊の?」

興味深そうに見つめられて、六太はちょっと鼻白んだ。

確かに半獣と海客に対して差別意識の強いこの国で、半獣と友達だと言う事は珍しいことかも

しれないが。

「楽俊の母ちゃんは引越したのか?」

やや口調がきつくなったのは否めない。

蔑んだり、敵愾心を持つ人間とは長く話したくはなかった。

けれど男はそれに気付いたのか気付かないのか、ふんわりと微笑んだ。

「いいや。この家にいるよ。私はここに居候させてもらっている者だ。今呼んで来よう」

そう言うと、男はさらりと身を翻した。

「………………?」

違和感。

六太は首を捻る。

男の起居動作はいやにすっきりとしていた。こういう場所にいるにはあまりにも場違いに。

(……何者だろう?)

居候なんて、楽俊は何も言っていなかったけれど。

やがて何やらぼそぼそと声がしたかと思うと、つと家の奥から女が出て来た。

「あら………?」

六太を見るなり、彼女は曖昧に微笑んだ。

その表情の意味は明らかだ。

「ごめん。俺一人なんだ、期待させたかな?」

六太も軽く微笑む。女は今度ははっきりと破顔した。

「いいえ。ごめんよ、楽俊のお友達と聞いて違う子を思い浮かべていたの」

女の目が懐かしそうな色を帯びる。

ああ、と六太は頷いた。

「陽子なら今回は来れなかったんだ」

六太が答えると、母親はまた笑った。

「二人とも元気かしら?」

「うん、手紙を預かって来てる。それから、ちょっと話があるんだけど……」

六太はちらりと背後に立っている男に眼をやった。

楽俊の母親だけあって、彼女はすぐそれと察して小さく頷く。

「大丈夫だよ。この人はとても信用のおける人だから」

男が口角を上げると、薄くえくぼが浮かんだ。

「とにかく、中へお入りよ。楽俊のことも、陽子のことも聞かせておくれ?」

そっと手を差し伸べられ、背中を包みこまれて六太はふとその温もりに懐かしさを覚えた。

いつの事だったか………? 記憶を辿り、長い年月を遡る。

それは、一番古い記憶にこびりついたもの。

ややあって、そうか。と思った。

それは、自分が何者であるかすら知らなかった頃。

ほろ苦く、甘酸っぱい思いが浮かんで消える。

口を閉ざしたまま、六太はその言葉を舌の上で転がしてみる。

(母親って……こんな感じだったな…………)

 

 

* * * 

 

 

男は名乗らなかった。

楽俊の母親も強いてそれを言わせず、結局六太はタイミングを逸して聞きそびれてしまった。

卓子を三人で囲み、出された饅頭をぱく付きながら六太は楽俊の手紙を渡し、

その後楽俊と陽子の近況をかいつまんで話した。

「それで、楽俊は母ちゃんを迎えに来たいって言ってる。

受け入れる準備もしているから、待遇は悪くないはずだけど」

「………………」

「どうかな?」

楽俊からの手紙に目を通し、じっとそれを見つめて話を聞いていた母親は目を上げた。

その視線は六太を見ず、横に座る男の方へ向かう。

「雁へ……………?」

何かを訴えるような瞳だった。

縋るような、願うような。眼差し。

そこに何が含まれているのか。

男の方はその意図を完全に理解したようだった。

視線を落とし、小さく首を振った。

この二人がどういう関係なのか、六太は少しばかり戸惑う。

「これから巧は沈む。それも、多分短期間の内に。貴女は荒れ果ててしまう前に、行った方がいい」

内容とは裏腹に穏やかな声で男は告げた。

(貴女は…?)

六太は眉を顰める。

『貴女は』ということは、自分は残るという意味ではないのか?

短期間の内に沈むと言いながら、自分は逃げる気はないと言うのだろうか。この男は。

「楽俊にはまだ貴女の存在が必要でしょう?」

仄かに微笑む。

しかし、何故かそこに自虐的な色を見つけて六太は目を凝らした。

この、二人はどのような間柄なのだろうか………?

兄妹。

友人。

恋人……?

不意に、脳裏に巡らせた単語にぎくりとした。

恋人? 楽俊の父親は早くに亡くなったと聞いたけれど。

そういえば、どうして亡くなったのかは知らなかった。

役人をしていて、かなりの知識人で。

………それから?

楽俊が妙に父親に関してぼかす表現をすることを不思議には思っていた。

その割には死んだということを強調するのも。

もしや。

六太は男を凝視した。

この男か? 本当は生きてたのか?

農地に場違いな物腰。

よくある官吏達の悲話。

永遠という枷によって分かたれる絆。

官吏になり、仙籍に入り、親、兄弟、伴侶、子供を失う者達の定め。

「あんた、楽俊の父ちゃんか………?」

思わず口を突いて出た言葉に。

「…………………!!」

母親は、目に見えて狼狽した。

けれど。

男は泰然として薄く微笑んだだけだった。

「………いいえ」

短い返答。

しかし六太は確信した。

この男が、

楽俊の父親だ。

「かつて楽俊が巧の首都である傲霜に行ったことがあると聞いた。

それは、あんたに会いに行ったんじゃないのか?」

蔑まれることの多い半獣は、大抵が外に出る事を嫌う。

だから初めて傲霜に行ったということを聞いた時は、少しばかり意外に思ったものだった。

「あんた、官吏だろう?」

「……今の私は官吏ではありません。夫役についています」

「夫役………………?」

ちり、と脳裏を何かがかすめて六太は額に手をやった。

夫役という言葉に既視感があった。

ごく最近に。確か朱衡に引き摺られて珍しく朝議に出た時に。

本を所蔵出来るほど裕福で、傲霜におり、夫役になった文張………?

 

「………塙太子……?」

 

六太は呆然とその言葉を唇にのせる。

その瞬間。ぴん、と緊張の糸が辺りに張り巡らされたように思えた。

 

 

* * *

 

 

楽俊の母親は顔を強張らせている。

男は口を閉ざしている。

楽俊は? 楽俊は父親の事を知っているのだろうか?

いや、傲霜へ行ったのだ。知っているのだろう。

塙王の太子は塙王が歳をとってから出来た子だったと聞く。

王の位についた時、太子はまだ幼かった。だから仙籍に入るのを遅らせた。

そして太子は父親を助ける為、身分を隠して地方の役人として実際に勉強していたのだとも。

「…………………捨てたのか?」

「違う!!」

六太の容赦のない問いに反応したのは、母親の方だった。

そして反応してしまったことにうろたえ、のろのろと顔を伏せる。

「では………」

「…………引き離されたのよ」

何故?

と問い掛けて、六太は舌を凍りつかせた。

問う前に、答えを見つけてしまったから。

………半獣、だ。

二人の間に出来た子は、鼠の姿で生まれた。

夫役の話を聞いた時、どうしてその優秀で、おそらく塙王にも愛されただろう太子が、父親に影響力を

持てなかったのかと疑問に思っていた。

半獣は差別の対象をなる。

そして、半獣をもいだ親達までも。

生まれたことで、失ったもの。

二人を見つめながら、陽子や尚隆、そして楽俊自身から聞いた話が次から次へ泡のように弾けた。

陽子が王と分かった時、楽俊はどんな気持ちで陽子に頭を下げたのだろう。

祥瓊を諌めた時も。

そして、巧麟失道を知った時も。

あれだけ虐げられながも、楽俊は塙王を嫌いだとは一言も言わなかった。

ただ、好き嫌いが激しい、とだけ。

巧国は終わりだ……と楽俊の声が鮮やかに耳の奥で響いた。

知らず、涙が溢れた。

麒麟として生まれて来たことが不幸だと思えた。

そして、楽俊が。

「楽俊が、可哀想だ……」

人の悲しみが心に痛かった。

痛みが溢れて、止まらない。

「主上は、半獣規制法を撤廃されようとなさったのです………」

それをどう受け止めたのか、初めて男が肯定ともとれる言葉を紡ぎ出した。

「でも、出来なかった。臣下と国民の猛反対にあったから……」

男は辛そうに口元を引き締める。

それから男は語り始めた。傲霜の王宮奥深くの、六太も知り得なかった事柄について。

半獣の子供が生まれたと知って、塙王は荒れた。

自慢にしていた英才の息子に、何故半獣が授けられたのか、と。

臣下を憎み、民を憎み。半獣の存在を恨み、天に怒り。

そして結果、塙王は孫よりも子供を優先した。

孫を庇護する法よりも、子が半獣の親と蔑まれない事を選んだのだ。

夫婦を引き離し、その事実が明るみにならぬよう、半獣を庇うことを奇妙に思われぬよう、より一層

半獣規制法を強化して。

男は言う。今になって思う。その時が、塙王の王としての岐路だったのかもしれないと。

楽俊が半獣として生まれた事は、半獣と海客の規制を撤廃させようとする天の、王への

諫言だったのやもしれぬ、と。

塙王の治世はその時期を境に綻び始め、男が父親が景王を襲わせていたという事を知ったのは

塙麟が失道した時だったという。

何故だか漠然と、その気持ちが理解出来るような気がしたと男は言った。

半獣や海客を差別しない、むしろ保護して繁栄させた延帝の政策。胎果の王が、妬ましかったのだろう、と。

慶の王が来た頃はもう疲れ果てて考える事を止めていたのかもしれない。

疲れ果てるほどに、思い煩っていたのかもしれない。

 

 

* * *

 

 

しばらくの沈黙の後、楽俊の母親はゆっくりと顔を上げた。

六太ははっとする。その瞳には楽俊が時折見せるような、揺るがない強さがたわめられていた。

「私は、雁には行かない。楽俊には迎えに来るな、と伝えて頂題?」

静かな、しかし否を言わせぬ声音だった。

微笑む彼女に、六太は素直に頷く。

その気持ちを理解出来ないと拒否するには、六太はもはや多くの国の興亡を見過ぎていた。

陽子に平伏しなかったという彼女。

世が世なら。太子妃であった女性。

だから、ただ一つ、釘を差す。

「………国に殉じようなんて思わないでくれよ。楽俊が、悲しむから」

夕陽が長い影を室内に伸ばす。

冬の陽射しは薄く、弱く。

沈みゆく国に、その朱色の光が暗示的にも思えて六太はうす寒く首を竦める。

「そのつもりだけれどね」

彼女はちらりと男を見遣る。

男は曖昧に微笑む。

六太は痛みを堪えて瞼を伏せた。

国が滅ぶ時、必ず国に殉じる者がいる。

国が人の集合体である以上、それは必然の死なのだろう。

国が滅ぶというのは、それを形成する人々の生きる基盤全てが瓦解する事なのだから。

 

楽俊への伝言や最近の状況などを聞き終わったあと、六太は立ち上がった。

外まで見送られ、姿が見えなくなるまで手を振る母親に、胸が痛んだ。

「尚隆………」

会いたい。

今すぐに。

----------台輔。

利角がそっと声を掛けてくる。

「いい。転変して帰る。その方が早い」

人目につかない場所へ向かいながら、六太はぎゅっと眉を寄せる。

国を滅ぼしてみたくなる、と尚隆は言ったという。

陽子を励ます一方で。問題がなくなれば、飽いてしまう、と。

人を愛したが故に、国を滅ぼした王がいた。

民を思いやるが故に、天の法に裁かれた王がいた。

今また、子を思い遣るが故に、薨れた王がいる。

滅びない国などないということを、六太は知っていた。

余りにも多くの国が沈むのを、この目で見てきたから。

「尚隆」

六太は小走りになりながら、呼びかける。不覚にも泣き出しそうになりながら。

命を分かつ、半身へ。

祈りにも似た思いで。

 

----------どうか、お前は死なないでくれ。

 

怯え続ける。

永遠に。

だから祈り続ける。

生きるために。

 

 

 

どうか、緑の山野を下さい。とこしえの----------。

 

………もうこれ以上、誰にも悲しい事がないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

了.

 

2002.6.23.

 



ええと……。楽俊父について考察するの巻です……。
思いっきり捏造しましたっ! ごめんなさいぃぃぃ!! m(_ _)m
書いた当時はまだアニメもはじまってなくて、塙の太子について
もう少し遊びの部分があったんですよね。でも、その後、アニメで
実際に太子が出てきて、この考察は使えないなぁと思ってて。
『雨』を発刊するときにはもうすでにアニメで太子について語られていたので
「冬日」は収録出来ないな、と思っていたのですが、皐妃さんから
「塙の太子にこどもがいないと明言されたわけじゃないですよ」との
力強いお言葉を頂いて、収録していただくことになりました。(笑)




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