「いらっしゃいまし〜、本日はお安くなっておりますよ」

「今日のオススメは烏号で捕れた新鮮な鰈……」

「当店では、一流物しか取り扱っておりません〜〜〜!」

雁国の市はいつも賑わって、人通りが多い。

「へい、兄さん。良かったら遊びにおいでなさい!」

「やぁ、ありがとう」

そこには大学の講義も終って、勉学のために入り用な物を買いに来た鳴賢もいた。

歩行が困難に思えるほどの人の多さには辟易するが、やはり若いせいもあって、

市が嫌いなわけでもない。

周囲に気を配りながら歩を進め。

ふと、何気なく今手渡されたばかりのチラシに目を落とし。

「…………あ」

鳴賢はすぐに懐の中にそれをしまった。

………なんとも大胆なことだ。子供も多いこんなところで、こんなチラシを配るなんて。

そう思って、鳴賢はちらりと振り返ったが、もう、先程の男の姿はなかった。

「………まぁ、いいか」

鳴賢は前に向き直り、ちょっと考え込んだ。

そして、急に、にたりと笑った。

「そうだ。あいつも誘ってやろう……………」

 

 

*

*

*

 

 

楽俊が鳴賢に弓の練習に付き合ってもらうようになってから(楽俊がそれをお願いした

記憶はないのだが)、しばらくしたある日の事。

「楽俊、弓を買いに行こう」

突然鳴賢が誘いに来た。

「弓?」

押しの強い人間に慣れている、というより慣らされてしまった楽俊も、急な言葉に一瞬

戸惑った。

鳴賢は訝しそうな楽俊に、常の歯切れの良い口調で話し始めた。

「お前が弓術が苦手なのさ、人間型に慣れていないってのもあるだろうけど、

練習の時の弓は、国が無料で貸し出してくれるやつだろう? 相性が合ってないんだと

思うんだよ。 体型にあった弓を作ってみればいいんじゃないかと思ってさ」

「ああ……そういうことか」

楽俊は読みかけの本を閉じ、銀色の髭をそよがせて目を細めた。

「でも、おいらあまり高価なものは買えねぇからなぁ」

楽俊は折を見てこつこつ小金を溜めているけれど、今後のことを考えれば、

とてもとても無駄遣いは出来ない。

「値段の方は後回しでもいいじゃないか。なんなら足りない分、無利息で貸してやるよ。

とりあえず、見るだけ見てみないか? 買わないまでも、コツでもつかめれば

儲けもんだし」

妙にいつもより押しが強いなぁ、と楽俊は鳴賢を不思議そうに見上げたが、

鳴賢はいつものように悪戯っぽく笑っているだけだ。

この友人は、いつもこんな表情なので、悪巧みをしているように見えて仕方がない。

もっとも、その半分くらいは本当に悪巧みをしているのだけれど……。

「じゃあ、とりあえず見に行くだけ、な」

「よぅし、決まり。じゃあ、人の姿になってくれな。弓引くには人の姿だから」

そうして楽俊はこっくりと頷き、言われた通り人型になって、鳴賢に連れられるままに

市に出たのだった。

 

いかにも大学生、という風貌の、しかもそれなりに見目良い二人が歩くと、幾人かの

女性の視線が糸を引いて絡んでくるのは仕方のないことだ。

鳴賢はそういう視線に慣れているようだったが、楽俊はなんとはなしに決まりが悪く、

耳の後ろを掻く。

市は相も変わらず人いきれがして、雁国に来て間もないころは、人波に酔ったもの

だったな、と記憶が泡のようにはじけた。何もかもが珍しくて、夢と現実がまだ

ないまぜになっていた頃。

憧れていた雁という国。

求めつづけてきた未来。

今、それは全くが理想通りとはいかないものの、理想に近い形で存在しているのだ。

楽俊は半歩先を歩く鳴賢に目礼し、心の中で礼を言う。

少なくとも、彼がいなければこれほどの充実感を味わえたとも思えなかったから……。

「さぁ、着いたぞ」

「あ、うん」

考え事を一旦頭の片隅に押し込んで、目を上げた楽俊は。

きっかり三度、目をしばたかせた。

「……………鳴賢……………?」

つい先刻、舌の上で転がしていた言葉が、一気にがらがらと崩壊した。

考え事に気を取られていたのだが、いつの間にやら周囲は緑色に塗装された店が

軒を連ねている。

美しい、鮮やかな緑。

陽子は心象イメージからか、毒々しいなんて言ってたけど、おいらはそうとも

思わないんだけれどな、などとどうでもいい事を思った。

こういう大事な時に限って、何故かどうでもいい事を思いつくのは、意外に誰しも皆

同じらしいのだが。

「ま、たまにはこういうのも必要かと思ってな。金なら心配ない。俺のオゴリだ」

「…………鳴賢…」

「楽俊は腕はともかく、腹筋と背筋を鍛えなきゃなぁ。

腰が弱いからうまく引き分けれないんだよ。

これを機に、鍛えてみろって」

「…鳴賢………」

「いやぁ、こないだ市で優待券配ってたからさ、息抜きも兼ねてさ」

----------はあぁぁぁぁ………。

大きな溜息が楽俊の肺から外界に洩れ出た。

「やっぱ、嫌かぁ? 困ったもんだなぁ」

鳴賢はちっとも困った様子もなく、苦笑した。

「……う〜んと、嫌じゃ、ないんだけどな」

それは、一応楽俊だって正丁だし、ちらっと考えないこともないけれども。

でも。

「実は、故郷に女房でもいたりすんのか?」

「いや、それはない」

楽俊は即答する。

実は、学生の中にはそういう話は案外多いのだ。夫を役人にするために、学費やら

なんやらをすべて糟糠の妻が背負って、挙句、夫は役人になると妻の存在を隠し、

有力な家の婿に納まってしまうのだ。

自分たちは大丈夫、という人間に限ってそういうのが多いのも、なかなかに複雑な

話だと言えるだろう。

だから慌てて楽俊は否定したのだが。

「こういう商売の女が嫌とか?」

「いや、そんなのも全然ねぇよ。大変だなぁってのは思うけど」

社会からの脱落者とか、怠惰な印象があるのか、風俗関係者が親戚にいると、

国によっては役人になる試験を受けれなかったりする。

…………本人との資質に関わりないはずなのに。

貧しいからこそ、楽俊は知っている。そういう職業の彼女達が、怠惰でなんて

ないことを。寧ろ、彼女達は死に物狂いで真面目に働いていることを。

けれど、怠惰というレッテルを貼られて、彼女達自身、投げやりになってしまうのだろう。

楽俊はだから、彼女達にマイナスの感情を持ってはいない。

中身ではなく、外見だけで判断されてしまう者の痛みを知っているから………。

「心に決めた女でもいるのかぁ?」

「………………………」

楽俊は否定しようとして、失敗した。

脳裏をちらりと、あの眩しいくらいの笑顔がよぎったからだ。

「仕方ないなぁ」

鳴賢は苦笑した。

「ごめんな。せっかく誘ってくれたけど」

「いや、まぁ、また気が向いたら言ってくれよ。その時また付き合ってやるからさ」

それはないだろうな、と思ったけれど、楽俊は曖昧に笑ってみせた。

じゃ、また後で、と鳴賢は背を向けた。

優待券とやらを有効に使うのだろう。

これが潔癖というのではないことを、楽俊は自分自身、理解していた。

単なる我儘だろうと。

人が思うほど、自分は綺麗でも清くもなかった。

優しくもないし、何もかも許せるくらい広い心の持ち主でもなかった。

誰かを救ってやりたいなんてことが、傲慢だとも知っていた。

ただ。

偽善だと言われようとなんだろうと、それで誰かが救われたと言うのならば、

それはそれで嬉しいと思うのだ。

自分が存在していることが、誰かにとって必要であるのならば。

鳴賢が角を曲がって、その姿が消えると、楽俊は来た道を戻り始めた。

途中でチラシを配る頭巾を被った男が楽俊にもそれを差し出したが、

楽俊は曖昧に会釈して受け取らなかった。

前言撤回した言葉を、楽俊はもう一度だけ反芻した。

 

鳴賢、有難う。

ごめんな……………。

 

 

*

*

*

 

 

それから数日したある日。

夜中にこつこつと窓を叩かれて、楽俊は机から顔を引き剥がした。

延王&延麒コンビがまた夜襲をかけに来たのか、と呆れ顔で窓を振り返った

楽俊だったが。

「よ、陽子ッ!?」

見慣れた赤い髪を夜の空に見つけて、楽俊は素っ頓狂な声をあげた。

「あ、えと。こんばんは、楽俊」

慌てて窓を開けると、陽子は困ったような、怯えるような、でも嬉しそうな顔をして

班渠の背から部屋の中に降り立った。

それからちょっと振り返り、

「班渠、悪いけど一刻ばかり、どこかに行っててもらえる?」

----しかし、主上。

低い声が不服そうに声を出す。

「大丈夫。仮にも延王のお膝元だよ。何かが起こるはずもないでしょう」

それでもなお納得しかねる様子の班渠だったが、もう一度陽子が繰り返すと

不承不承、従った。

班渠が空の中に紛れると、一旦窓を閉めて、楽俊は陽子をまじまじと見つめた。

「どうしたんだ? こんな夜中に」

延王ならともかく、という言葉を危ういところで飲み込んだ。

大概、不遜になりつつあると思う。役人になろうというのにいかんなぁ、とは自戒する

ものの、雁国主従を見ていると国の威儀とか、王の威厳とかいったものが

どうもよく分からなくなってくるので困るのだ。

「ちょっと、聞きたいことがあって。出てきちゃった」

どこか強張った顔をして、陽子はちろりと舌を出した。

「聞きたいことって……おいらにか…?」

訊ねた楽俊に、陽子はなんだか恐ろしく真剣な顔で頷いた。

「あの、延王からお聞きしたんだけれど」

「うん」

楽俊は軽く首を傾げた。

 

「楽俊が遊郭にいたって、ほんと?」

 

ぴし。

 

……………長い長い、沈黙があった。

何で延王が知ってるんだ!?とか。

何でそれをまたわざわざ陽子に言うんだ!!とか。

頭の中をぐるぐると黒っぽいもやもやしたものが蠢きまわり、それを思って。

不意に思い出したのは、あの、優待券のチラシ。

あれを配っていた、男の背格好。

 

だれぞやに似てやしなかったか、と。

 

石化した楽俊はようやく引き攣った笑みを浮かべる事に成功して、耳の後ろを掻いた。

「行ったことは、本当だ」

嘘を吐いたところで、陽子が見抜けないはずがない。

それに、とかく、女性はこの手のことは直感的に真実を知るものなのだ。

だから楽俊は正直に言ったのだが、陽子の顔から血の気が引くのを目の当たりに

して、楽俊は慌てて付け加えた。

「でも、何もなかったんだ。鳴賢が行くのに途中までくっ付いてっただけで、おいらは

先に帰ったから…………」

「それだけ…………?」

「それだけだぞ。なんなら、天帝に誓ってもいい」

陽子は泣き出しそうな顔で、安堵の溜息を吐いた。

「天帝に誓わなくてもいい。楽俊が私に嘘をつくはずがないもん」

「…………黙ってることはあるけどな」

濡れたような翡翠色の瞳に何故かひどく罪悪感を覚えて、楽俊は答えた。

「ごめん。そういうの、頭では理解出来るんだ。理性でなら、楽俊も立派な男の人だし、

仕方がないんだよね、ってそう思えるんだけど……………」

「………うん」

楽俊はまた耳の後ろをかりかりと掻く。

「でも、ダメなんだ。感情が納得してくれない。

我儘だって思うんだけど、嫌なんだ。楽俊が、他の人と、そういうの………!」

楽俊はうっすらと顔を朱に染めた。

疚しい事があるのではなかった。

ただ、陽子の言葉は別の側面からみると、ただ一つの事実を指していたからだ。

「あのね、だからね、楽俊」

「うん」

なんだか胸の中は感動に満たされて、楽俊は陽子を見つめ返した。

 

「今度そういうのがあったら、相手は私にしてね……」

 

ぴし。

 

………楽俊の微笑みが一瞬にして虚ろなものになった。

そうか、と楽俊はこの瞬間、すべての事情を悟った。

なんと深い陰謀。なんと見事な小細工!!

おそらく、鳴賢に優待券を渡したのも。

陽子に情報をリークしたのも。

この、一言のためだったのだ!

本来ならば、延王に感謝すべきなのかもしれなかった。

見事な恋の橋渡しをしてくれたのだから。

しかし。

これを、またその人がむちゃくちゃ面白がって結末を楽しみにしているだろうと

分かるから、感謝の分だけ、否、むしろそれ以上に怒りが湧き上がってくるのだ。

「延王。覚えてて下さいよ」

楽俊は口の中で呟き、深〜〜〜く怒りを押し込める。

 

だが、当面の問題は。

 

「………楽俊?」

陽子が宝玉のように綺麗な瞳を上げて見つめてくる。

「いや、あのな……………」

楽俊はずきずきと痛むこめかみを抑えた。

果たして、是か非か、どちらの言葉がより良いものか……………。

楽俊は虚ろに遠くを見つめ、陽子に曖昧に微笑みかけたのだった…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく……?(笑)

2001.12.6.


はしたないSSで申し訳ないです〜〜。(汗)
ただ、風俗関係者が親族にいたら、科挙が受けれなかったって文献を読んで、
そんなのあんまりだ〜〜!!ってすごく腹が立ったので、書いてみました。
科挙史を調べると色々と大学生生活が見えて来て、とても面白いです。
雁の大学はどうやら中国宋代仁宗帝頃の「太学」と同じものみたいですね〜。(^^)

漫画ではもう少しラクヨウメインの切ないお話になっていますが、実は鳴賢の要素の方が
強いんじゃないかという噂が・・・・・・。(汗) 雁主従もしっかり出てきますしね。
てか、楽俊と陽子の場合、周囲がくっつけようと画策すればするほどくっつかなさそうな気がしますよ・・・。(苦笑)
ちなみに、陽子ちゃんが別人になっているのは重々自覚の上です。(^^; ハイ。
漢前な主上はいったいどこへ・・・・・。(遠い目)

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