「陽子、あれが有名な雁国の千年桜だ」

言われて、別のものを見つめていた陽子は顔を上げた。

楽俊の指差す方向に、どっしりとした幹の黒い桜の木があった。

「あれが、かぁ。噂には聞いていたけど、なんて立派な………」

「実際の樹齢としてはまだ八百年に満たないくらいらしいけど。

でも、延王が位に就かれる前の時代を乗り越えたのは本当にすごいな。

ひどい荒廃ぶりだったそうだから」

「ふうん………」

今は冬。木は花は無論、葉も落ちてしまって黒い枝だけが雄大に伸びているだけだ。

けれど、そこには確かに陽子の胸をうつ何かが存在していた。

どう言えばいいのだろう? 圧倒的な強さと威風。

畏怖に押されてそっと楽俊に寄り添おうとすると、

「寒くないか? ここいらでお茶でもするか?」

楽俊はさらりと尋ねた。陽子は内心、困惑する。

また、だ。

「うん、いいね」

しかしそれを隠して陽子は応じた。

楽俊は笑って、適当な店を探し始めた。

 

いつものように、公務の合間を縫って遊びに来た陽子だった。

いつものように散歩をして、いつものように雁国の政治を学んでいく。

そんないつも通りずくめの中で、ただ、一つだけ違っていたのが

今日の陽子は襦裙姿だという事だった。

髪には楽俊が贈ってくれた簪。着物は祥瓊が気合を入れて選んで着せてくれたもの。

お忍びである以上、絹の服というわけにはいかないから上等な服ではなかったけれど、

王宮の皆が太鼓判を押してくれた衣装なのだ。

先を歩く楽俊の背中を恨めしく眺めながら、

(ちょっとだけ期待してたんだけどな………)

陽子はこっそりと口を尖らせた。

無論、楽俊が似合わないとか可愛くないだとか言ったわけではなかった。

会って顔を見て、開口一番、今日は華やかだなぁ、すごく綺麗だ。と手放しで

褒めちぎってくれたし、簪を挿しているのを確認してもいたようだった。

だから、そこまでは良かった。陽子は上機嫌で散歩に繰り出したのだが。

 

「あそこでいいかな?」

楽俊のセレクトは当然陽子の好みそうなもので、ほぼ満点の出来だった。

華美でもなくて、でも上等でもないアットホームな落ち着いた雰囲気の店。

(でも、もうちょっとコイビトっぽいデートをしたいと思ってるのに)

満足でありながら、陽子の不満はそれだった。

せっかく女の子らしくしてきたから、いつも通りの中にもう少し色気があってもいいと

思うのだ。

ところが。

これがことごとく楽俊にかわされ続けた。

寄り添おうとするとふっと避けたり、先程のように話を変えられる。

いい雰囲気かも、と思った瞬間、次の場所に移動する。

人目のないところに行こうとすると、やんわりと、しかし巧妙に引き戻される。

(なんでかな? やっぱりまだ早いとか思ってるのかな?)

海客の陽子にはあまりこちらの恋愛観は分からない。遠甫から聞いた限りでは

祖国よりもオープンな恋愛なのだと思っていたが、それも国や地域で違うものなの

かもしれない。

(楽俊は身持ち固そうだし)

酒は控えめで、こちらに煙草やギャンブルといったものがあるのかどうか陽子は

知らないが、あったとしても楽俊の身の回りには見かけないのだ。

よく言えば真面目で純朴、悪く言えば垢抜けていなくて晩生な青年。

果たして恋愛に関して及第点かどうか、ちょっと疑問の残るところだった。

勿論そういったものを差し引いて余り有るほどの才能は周知の通りだけれど。

(手、つなぐだけでもダメかな? 身体に触られるのが嫌いとか、そういうことでは

ないんだよね? 慎みとかが問題なのであって、人目のないところならいいのかな)

お茶とお菓子を頼んで話している分には、普段通りの楽俊だ。

陽子を嫌ってるとか、無理に合わせているという感じではない。

(でも、なんだかいつもより落ち着かないみたい。大学で何かあったのかな……)

試験は終ったはずだし、ちゃんと都合のいい日を選んでるから、突発の用事でも

出来たのだろうか。

お茶を済ませ、出る段になって、陽子は楽俊を見上げた。

「楽俊、もう一度あの桜が見たいな。いい?」

「ああ、どうせ帰り道だし、構わねぇよ」

楽俊はあっさりと頷いた。店を出て、てくてくともと来た道を戻りながら、また

たわいのない話をした。陽子は殆ど上の空で返答しながら、楽俊の左手だけを

見つめる。

時刻は夕刻近く。のんびりと散歩するのは二人くらいで、もう人の姿もまばらだ。

「……………」

ついに抑えがたい誘惑と体中の勇気をエネルギーに換えて、陽子は

えいやッ!、とばかりに楽俊の左手を取った。

瞬間、楽俊がびくりと身体を震わせた。大きな目を見開いて、陽子を凝然と見遣る。

けれど、驚いたのは陽子もまた同じだった。

「えと……。楽俊の手って冷たいんだね」

楽俊の手は冷たく、がちがちになっていた。細くて長い綺麗な指も、血の気がなくて

真っ白だ。繋がれた手を見つめて、楽俊は大きく深呼吸した。強張っていた手が、

少しだけ解れたように陽子の手に伝わった。

「暖かい手の持ち主は心が冷たいそうだぞ」

冗談めかして楽俊は答えた。

また、そっと歩き出す。手を振り解こうという素振りは欠片もなかったから、陽子は

安心して手を繋ぎとめたままでいた。

「陽子の手も、冷たいな。寒かったか?」

「うううん。私のはいつもだよ。夏でも暖かくならない。低血圧だから」

どきどきしている脈が楽俊にも伝わりそうで、陽子は慌てて言った。

声が少し上擦っていた。

「そっか」

「楽俊も、低血圧? 朝起きれなかったりする?」

「寝てるのは好きだけど、起きれないってこともない。それに、今日のは違うと思う」

「え?」

問い返すと、楽俊は耳の後ろを空いた右手でかりかりと掻いた。

「今日は、緊張してたんだ」

「……緊張? どうして? 別にいつもと同じ……」

言いかけて陽子は、あ。と口元を抑えた。

そうだ。今日は、ただ一つだけ違う事があったではないか。

「普段は男のなりをしてるから意識しなかったし、怒るかもしれないけど王宮に行けば

仙女様みたいなもんで遠くに感じてたし、別にそれ以上どうこうってあんまり

思わなかったんだけどな」

楽俊はちらりと陽子の服に目を走らせた。

「なんだか身近に普通にいる女の子なんだよなぁって思ったら、だんだん緊張してきて」

陽子は嬉しくなって楽俊の手をぎゅっと握った。

進もうとする想いと、自制。

時には照れだったり、時には言い知れぬ不安だったり。

楽俊も同じだったのか、と思う。楽俊だけじゃない。こちらでもあちらでも、きっと皆、

思いは同じなのだろう。

お互いに無言のままじっと見つめ合った。

指を絡めて、つと、離した。無意識のうちに視線が彷徨い、また顔を見合わせ、

静かに微笑み、奇妙に熱っぽい瞳を向けて陽子はそっと目を閉じる。

楽俊の手のひらが頬を包んでくる。首筋に触れた指があんまり冷たくて、

陽子は一瞬首を竦める。息を詰める。頭に鳴り響く鼓動。

ようやくここまでこれたかな、と実感出来た瞬間、

 

がさっ。

 

ちょっと離れた場所にある草むらから、奇妙な音が響いた。

ジャストミートなタイミングだった。

陽子は詰めていた息を思わず吐き出していたし、楽俊は一気に脱力した。

緊張の一瞬の糸を思い切りよく一刀のもとに袈裟切りに切り捨ててくれた気分だ。

「誰だと思う?」

苦笑しながら小声で聞くと、

「心当たりが多すぎてわからねぇ」

至極最もな返事が返って来た。

「延王と六太くんのコンビに次のおやつかな」

陽子がそう言うと、楽俊はちょっと考え込むような顔になり、言った。

「慶国の麒麟に、新しい贈り物」

「景麒が? それはないよ、楽俊。 だってなんで見張る必要があるの」

「延王と延台輔の好奇心なら納得するってのもどうかって気がするけどな」

楽俊は苦笑した。

「恋愛って頭でするものじゃないっていうけど、やっぱり頭もあると思うな。

衣装の認識一つで制御されたり、人目の有る無しに関わるものなんだから。

当てになるもんじゃねぇよな」

楽俊はそう言って、くすりと笑った。なんだか酷く悪戯っぽそうな笑みだった。

そして今度は陽子の首筋を包み込むと、冷たさに竦めたその一瞬に、

かすめるように頬に口付けた。

がさがさがさっ!

草むらが派手な音を立てたが、陽子は突然のことに動転して呆然としてしまった。

「行こうか、桜見て帰ったらもういい刻限だ」

何もなかったようなしれっとした顔で、今度は楽俊の方から陽子の手を引いた。

「う、うん」

陽子は真っ赤な顔で頷いて、空いた左手で頬を抑える。

男の人は、緊張すると唇も冷たいんだな、と混乱した頭で思った。

二人は並んで歩き出した。

火照った顔に、冷たい手が心地よかった。

 

*

*

*

 

「こないだ陽子が来てたんだってな。俺も会いたかったなぁ」

「元気そうでしたよ。千年桜を観に行ったんですけど、おいらもあんな立派な桜は

他に見たことないです。五百年災異がないというのも大きいんでしょうけど」

「俺のせいじゃないさ。桜の生命力だな」

「御謙遜を。陽子は春にもまた来たいって言ってました」

今日も今日とて突然窓に人影が降りてきて、楽俊は客を迎えていた。

「春はやっぱり北の方が気持ちがいいな、重石が取れていくような感じは南の方には

あまりない。奏や漣は冬でもそれなりに暖かいし」

「俺は南のほうがいいけどなぁ。寒いのは苦手」

「トラウマだな」

「冬は飢える民がいるから、嫌なんだよ」

「麒麟の性向ですね。おいらはどの季節も好きだけど」

そこでふと、楽俊はにんまりと笑った。

「範はどうでした? 陽子が来てた時、範においでだったって聞きましたけど」

「相変わらずだ。あの国は俺の性に合わぬ」

「口を開けば山猿、小猿だ。あの小姐ちゃんも難だしなぁ」

天敵の国に行ったから、しばらくは静かでありがたい、と楽俊に漏らしたのは

雁国の名物三官僚の一人、朱衡だった。

楽俊は毎回、念のために陽子の訪れの日を知らせているのだ。

陽子が何かの事件に巻き込まれた時のためもあるし、一方朱衡の方も

秋官は外交も司るから、お忍びとはいえ他国の王が雁国にいることを知って

おくにこしたことはない、というわけだ。

「陽子が来るって知ってたら範行きは遅らせたのになぁ」

残念そうに言う雁国主従に、楽俊はふっくりと笑ってみせた。

「陽子が聞いたら喜びますね。伝えてもいいですか?」

「いや、俺たちが自分の口から言う」

「そうですか」

楽俊はにこにこしたまま頷く。

楽俊はギャンブルはしない。負ける賭けにのらず、勝てる賭けにだけのるのは

ギャンブルとは言わないだろうから………。

 

 

 

 

 

後日、「なにやら景麒の様子が変だった」という雁国主従の言葉と共に、

賭けは楽俊の勝ちだ、私は景麒にそんなに信用がないのかな。と

陽子から贈り物のリクエストを訊ねる青鳥が来たのはまた別のお話である------。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわる。

2001.10.30.


続、景麒VS楽俊ですv 景麒FANの皆さんはまたまた本当にごめんなさ〜〜い!(土下座)
うちの景麒さんは陽子ちゃんがとっても好きです。それも多分、恋愛感情という意味で。
でも景麒はその気持ちがよく分かっていません。楽俊と仲良ししてるのが何で悔しいかも
きっと分かってないでしょう。そして生まれついての表現知らずという難儀なビョーキのせいで、
陽子ちゃんもそれに全く気付いておりません。(笑)そもそも景麒に好かれてるなんて一っ欠片も
思ってないでしょう。そんなわけで、楽俊は景麒をライバルとは思ってないし、危機感もないんでしょう。
でも、お互いライバルじゃないんでしょうが、目障りではあるんでしょうねぇ。(笑)


「独占」に収録していただいた作品。ギャンブラー楽俊です。(笑)
のちにこの桜を見に行って、「邂逅」に繋がります。
アレ?時系列がおかしい・・・? というツッコミは胸の中だけにしまっておいてくださいね。(^^;




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