陽子がひょこり、と顔を出したのは新緑が目に鮮やかな初夏の頃だった。

陽子が来るのは大抵が突然。

忙しいから前もって予定も立てる事が出来なくて、暇が出来ればそのまま来てしまうらしい。

まぁ、来てくれることはとても嬉しいのだけれど。

「勉強中にすまない、楽俊。元気にしているか顔が見たかったんだ。すぐ帰るから」

そう言って気を遣われるのが困るのだ。

すぐに帰るなんて言わないで欲しい。いつでも歓待するつもりなのに。

前もって来る日を教えてくれたなら。

陽子のためにいくらでも時間を作るのに。

「そう言わずに茶ぐらい飲んでいけって、陽子。おいらだって陽子が元気にしてるかちゃんと知りたいぞ」

だからわざと穏やかに本を閉じ、ゆっくりと陽子を迎えよう。

心のままに慌てて動き、気忙しくしたならば、敏感な陽子はきっと落ち着く事が出来ないだろうから。

「うん、ありがとう」

陽子の貌から硬さがとれて、微笑みが浮かぶ様はまるで大輪の華の開くよう。

ともすれば精悍にも思える表情が、美しさはそのままに柔らかにほころぶ。

小さな卓子に茶碗を二つ置く。向かい合って座り、心地よい沈黙を共有する。

取り立てて喋らなくても、ちっとも苦痛じゃない。なんとなく目が合って、お互いに微笑んだりする。

「ねえ楽俊、腕、出して」

また唐突に、陽子が言う。

「何だ?」

腕を差し出しながら、今度は何を言い出すか面白がっている自分がいる。

陽子の突拍子もないところが堪らなく魅力的だと思う。

彼女が胎果だという事実がひどくいとおしい。

それが、たとえ自身の半獣という劣等感からくる救いなのだとしても。

「これ、結ぼうと思って。楽俊なら知ってるよね」

「五綵糸か」

言い当てると陽子がくすぐったそうに笑った。

陽子が手に持つのは五色の綾糸。

「そうかぁ、そういえばそんな時期だったな」

夏の盛りは疫病や害虫が発生しやすい。だから端午の節句に五綵糸を巻いて、厄払いの呪術に

する儀式があった。

「祥瓊に教えてもらったんだ。あちらにも似たような行事があったよ」

陽子の指が妙に真剣に糸を結ぶ。

肘に五色の綾糸が結びつけられる。

「結びに来て言うのもなんだけど、これで邪気や疫病が払えるって、本当?」

陽子が生真面目な顔で問いただしたから、思わず吹き出してしまった。

「邪気や疫病の他にも、剣難を払うって言われてるけどな」

「そうなのか」

うん、と頷いて、陽子の目が話の続きを望んでいることに気が付いて、また口を開く。

「もともとは長命を望む儀式だったらしい。たまむすび、魂を結ぶということに引っ掛けて、

結ぶという行為そのものが呪術になったんだな。実はこれは起源が古いらしい。

里木がそうだろ。親が枝に帯を結ぶ。結んで初めて子が実る。

結ぶ、ということに天の力の存在が信じられているんだ」

「ああ、なるほど……」

陽子が尊敬の眼差しで見つめてくる。ちょっと照れて、思わず俯く。

「じゃあ、効果を信じてもいいんだな」

陽子は笑みを浮かべる。

「多分、な」

「そういえばあちらにもそんな話は色々あったよ。鉢巻を巻いたら通常よりも力が出るとか、

運命の赤い糸とか………」

そこまで言って、不意に陽子は何故か口を閉ざした。

「………? どうかしたか?」

「いや………あちらの風習もこちらで通じるのかと思って」

「それは、どうだろう」

蓬莱に関しては確信が持てないからそう言ったのだけれど。

その途端、陽子はしおしおとしょげてしまった。

「試しにやってみるか? 陽子の話じゃ、あちらとこちらは共通点があるみたいだし」

内心かなり慌てて言ってみた。陽子がちょっと顔を上げたから、重ねて言い募る。

「どうやるんだ?」

「…………………それじゃ、楽俊。赤い糸って持ってる?」

「あるぞ」

机の引き出しから取り出すと、陽子はほんのりと目を細め、手を差し出した。

「糸を私の小指に結んでくれるかな」

「小指?」

「理由は私も知らない」

お互いに首を傾げたまま、

「とにかく小指なんだな。こんな感じでいいのか?」

「うん、ありがとう。楽俊も手を出して」

「おいらにも結ぶのか。これ、どんな効果があるんだ?」

「……………………えと、悪いものを払うんだよ」

「ふぅん?」

赤い糸で繋がった二人の小指を見遣る。

「効果があるといいな」

どこか嬉しそうに陽子が言う。

「そうだな」

そんな陽子を見て、胸の奥が熱くなるのを感じる。

 

だから祈ろう。

天の力を信じるわけではないけれど。

 

願わくば、今年も皆が無事平穏であるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

了.

2002.5.6.


更新遅れちゃ意味がないSSで見事に遅刻。撃沈。ぐはぁ。
参考資料は松本清張大先生の『火の路』。
そして『唐詩歳時記』著者 植木久行氏。

突っ込まれる前に自分でツッコミます。
なんか楽俊がポエマーですよね。(^^;
やっぱドリー夢入り過ぎ?(苦笑)

 

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