ぽいっ。と放り出されたような感覚とともに、楽俊はそこに立ち尽くしていた。

「…………あれ?」

違和感があった。

眼前には見慣れている、見慣れすぎている風景がある。

古い家具。ぎしぎし軋み音を立てる椅子。

空気の匂いすら変わらない。

巧の自宅、だ。

だがそれ故に、もの凄く違和感があった。

「あれ? おいら、雁国にいなかったっけ?」

楽俊はこきゅ、と首を傾げた。

そう。確か昨夜、例によって例の如く鳴賢が遊びに来て、試験が終ったと祝杯をあげたのでは

なかっただろうか。

「何言ってるの、楽俊。私達、雁国なんて行った事ないじゃないか」

いきなり背後からの声に、楽俊は驚いて振り向いた。

聞く筈のない声。こんなところにいるはずのない彼女。

「よっ、陽子ッ!?」

楽俊は素っ頓狂な声をあげた。

「なんでこんなところに……」

「なんでって……。酷いな、楽俊。私にいて欲しくないのか?」

楽俊は慌てて首を大きく振った。

「そうじゃねぇ!! そうじゃねぇぞ、陽子。そりゃ、いて欲しいけど……」

でも、お前は慶の女王で。と続けようとした楽俊は、ふと陽子の衣装に目を落とした。

(……あれ?)

また、違和感があった。

陽子は、いつも男物の袍を着ていなかったっけ?

楽俊はまじまじと陽子を見つめる。

質素な襦裙姿の、明るい笑顔の覇気のある、けれど楚々とした陽子はそこいらの村の娘と

変わらなかった。

「……でも、陽子を独占できねぇから……」

「何故? 私は独占して欲しい」

陽子がそっと胸元に擦り寄って来る。その時になって、また楽俊は気が付いた。

(陽子がおいらより小さい?? え? いつの間においら、人型になったんだ?

あれ? さっきまでねずみの姿だったよな?)

パニックを起こしそうになりながら、楽俊は陽子の身体を抱きしめた。殆ど無意識の所作である。

「だって、せっかく結婚したのに……」

「はぁ!? ………けっ、結婚!?」

楽俊は陽子の肩に手を置き、引き剥がした。陽子が笑う。

「どうしたの、楽俊。まだ寝惚けてるの?? 私達、ようやく結婚したんだぞ?」

楽俊はくらくらと眩暈を起こして座り込んだ。

「王は婚姻できねぇだろ? しかも、おいら半獣で……」

「王?なんのこと? それに半獣って。半獣の規制法は撤廃されたじゃないか」

「…………そうだったっけ?」

陽子に言われるとそうだったような気がして、楽俊はすっかり混乱してしまった。

「ほら、楽俊。お母さんがいる。私も畑で今日のおかずをとって来るね。楽俊は大学の勉強を

続けてて」

笑顔で言われて、またも楽俊は首を傾げた。

変だ。

傍に陽子がいるのに、どうして大学なんかの勉強をしているんだろう?

………しかし、楽俊は頭を振ってその考えを追い出した。

そうだ。きっと寝惚けているのだろう。

陽子が慶の女王な訳がない。陽子は行き倒れた海客だったのだから。

「いや、おいらも畑を手伝うよ。母ちゃんがどこだって?」

「あそこ」

不意に、なだらかな地平線が目の前に現れた。

家を出た覚えもないのに、振り返ると我が家がぽつねんと建っていた。

「お母さん! 楽俊も手伝うって!」

「あいよ。陽子もおいで! この辺りはもう収穫出来そうだよ」

不意に、ずきりと胸を突かれた気がした。

母が、笑っている。

田んぼも畑も手放した。いつも苦労ばかりさせてきた。

けれど、それももう終わりだ。半獣の規制法も撤廃されて、戸籍から但し書きは消されて正丁と

認められる。陽子との婚姻で、母も安心していることだろう。

「さぁ、行こう楽俊!!」

陽子が手を差し出す。

感極まって楽俊はその手をしっかりと握った。

もう、大丈夫だ。陽子さえいれば。陽子と貧しくとも穏やかな生活をおくることが出来たなら。

陽子の赤い髪が大きく揺れる。

 

「天命をもって主上にお迎えする」

 

「………………は?」

突如、陽子の髪が金色に変わった。

楽俊はあんぐりと口を開けた。

「許す、と」

「なんなんだ!?」

「命が惜しくないのですか。----------許す、とおっしゃい」

陽子だった人物が、楽俊の手を引っ張る。

振り返ったその顔は。

------景麒だった……。

戦慄が走り、楽俊の腰が砕けた。目を閉じる。世界が暗転する。

「しっかりなさい!」

肩をゆすられて、楽俊は我に返った。

「自失している場合ではない!」

自失?

そう、陽子はどこへ行ったのだ。

この手を引いていた陽子は?

「嫌だ!! 陽子!!」

「とにかく、ここは」

「嫌です! 陽子!? 陽子はどこだ!?」

「まったく、頑迷な」

どっちがだ、と楽俊は頭を抱え込んだ。

「おいらは、一介の半獣だ。陽子と婚姻を結んで、穏やかに暮らすんだ!」

泣きたかった。ようやく、手に入れたものなのに。

「聞き分けのない。落ち着かれよ」

いらだった様子で景麒は言った。

「起きなさい。夢だ。うなされているのです。夢だ。夢だ。夢だ。」

「でもっ!!」

 

目覚めたく、ない。

 

---------夢だって! 起きろ!!

---------起きろ。

 

「文張!!!」

 

は、と楽俊は身体を起こした。

そこには見慣れた雁の大学寮の自室があった。

「大丈夫か? すっげーうなされてたぜ?」

「……………」

「………………文張?」

茫然自失の体の楽俊に、鳴賢は目の前で手をひらひらと振ってみせた。

「おーーーい……」

すると、胡乱な目付きで楽俊の瞳が動いた。

「嫌な夢でも見たのか? 文張」

「……どうして鳴賢がここにいるんだ?」

珍しく寝惚けているようだ、と鳴賢は片眉をあげた。

「昨日酒盛りしたろ? それで楽俊が堂室に泊めてくれたんじゃないか」

「………………そっか」

「悪夢でも見たか?」

「いや…………」

楽俊は鈍重な動きで立てた膝の中に顔を埋めた。

「あいつさえいなければ、すごく、いい夢だったんだ………!!!」

 

それから数日、楽俊はぼんやりと東の空を見ることが多かったという。

ともかく、夜遅く遊びに行った六太は珍しく不機嫌だった楽俊に追い返され、

それからしばらくは楽俊が見たという夢の噂で玄英宮はもちきりだったということだ。

 

 

 

 

ヲハリ。

2002.3.12.


まる様の「初夢」へのオマージュですvv
氷魚がやりたかったこと。
その1.陽子と穏やかな生活を営む楽俊
その2.やっぱり邪魔される楽俊、でした。(笑)
これ、裏読みしたらものすごく楽俊可哀相ですね。
絶対叶わない夢を見るほど空しくて惨めなものはない。(T-T)

このお話は別名「楽俊VS景麒本」(笑)の「独占」に収録していただきまして
「こんな悪夢は他にない」と大層好評(!?)だったのが、とっても嬉しかったです。(笑)


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