その日、朱衡は自邸に珍しい客の訪問を受けた。

……否、別に彼が珍しいというわけではない。

ねずみの半獣という意味では確かに少数派だろうが、半獣を規制しない雁では珍しがるほどの存在

ではないし、良く連絡を取り合って、今現在(……少々不本意ながらも)仕えて続けている主から

色々と気をつけてやるようにとも指示されていたから、彼が来てもおかしくはないのだ。

……が。しかし。

今まで、朱衡が誘った以外には、彼が朱衡を頼って来ることはなかった。

王の知り人だということで特別に扱われることを極力避け、朱衡と連絡をとる時も出来るだけ

正規の方法で行って来ていたのである。

まぁ、殆どの大事な用件は、夜中に遊びに行ったどうして貴方が王なんだろうと言いたくなる人物

が直接聞いて来る(朱衡に連絡が来たのは本当に数えるほどだから、あのでたらめな王がどれだけ

彼の貴重な時間を削っているのか察するに余りある)のだが……。

 

そんなわけで迎えに出た朱衡は、楽俊の姿を認めて目を丸くした。

「……楽俊?」

なんと楽俊が、困り切った表情で立ち尽くしていたのである。

「御自宅まで押しかけてしまって申し訳ありません。ちょっとだけおいら…いや、私の相談にのって

頂きたくて……」

拱手する楽俊はきちんと正装していた。

だが、穏やかで静かでありながらも強い、いつもの覇気がない。

「まぁ、とにかく中にお入りなさい。どうしたんです」

朱衡は楽俊を中に導いた。椅子に腰掛けて二人は向かい合う。

朱衡が比較的手が空いているようなのと茶を出されたことで、楽俊はちょっと肩の力を抜いたよう

だった。

「朱衡様はばれんたいんでーというのを御存知ですか?」

「バレンタインデー?」

朱衡は面食らって目を瞬かせた。

「ああ、ええ。うちの台輔が持ち込んだ蓬莱の節句ですね?」

「はい」

楽俊はちょっと頷いた。そして、ぽりぽりと耳の後ろを掻く。

「おいら…いや、私は今年大学でいくつかお菓子を貰ったんです」

「ああ、それはそうでしょうねぇ。楽俊は人気があるそうですしもててるって話ですし……」

朱衡が言うと、楽俊は顔を朱色に染めて首をぶんぶんと振った。

「いえ、もてるなんて……!! そういうことじゃなくて、分からないところを教えてあげた時の

そのお礼とか、本を貸したその礼にってことだったんですけど……」

「……………」

どう答えたものやら選択に困った朱衡の沈黙に気付かず、楽俊は続けた。

「実は、おいら陽……景王にもしょこらっていう蓬莱のけーきを頂きました。

それで、そのお返しをしたいと思ってこの間延王に、だ……恥かしながら御相談申し上げたんです」

朱衡は「恥ずかしながら」の前に「だ…」と言った楽俊の言葉を聞き逃さなかった。

恥ずかしながらなんてものじゃない。「断腸の思いの末」の決断だったのだな、と朱衡には

分かった。それはもう究極の選択だったろうことを、哀しいかな、容易に想像出来てしまうのだが。

「……………それで?」

しかし、朱衡はそれを口にするのも憚れて先を促した。

「はい、延王はこうおっしゃいました」

楽俊は少し居住まいを正した。目線を天井に上げたのはより正確に言葉を反芻するためだろう。

「『何かのお礼でくれたちょこのことを、義理ちょこという。義理ちょこへのお返しの菓子は飴だ。』」

「……………」

朱衡は思わずこめかみを抑えていた。

楽俊はそんな朱衡の様子に不安な様子ながら、言葉を紡ぐ。

「『本当に好きという気持ちでくれたちょこは本命ちょこという。本命ちょこへのお返しはましゅまろだ。

さらに、義理ちょこをくれた娘が自分にとって本命なら飴ではなく、くっきーが良い。

本命ちょこを貰っても、その娘が自分の気持ちに沿わぬ相手ならば、ばばろあがよい。

そして肝心なのはちょこをくれた相手が自分にとって本命ならば菓子と一緒に何か形の残る物を

贈るのが蓬莱の習慣だ』」

「…………………………………………」

朱衡の深〜〜〜い沈黙に、楽俊は困惑しきった様子で一度口を閉ざした。

奇妙な静謐が部屋の中に充満する。

しばらくしわぶき一つ聞こえない空気が辺りを包んだ。

お互いに苦悩の深さを理解し合えるから、かける言葉もない。

しかし、耐えかねたのか楽俊はまた口を開いた。

「………おいらは、それを聞いて延王がおっしゃったお菓子を用意すればいいのだと思いました。

ところが別の日、台輔がいらっして延王のお言葉を聞くなりそれは違うとおっしゃるんです」

「…………………………………………」

朱衡の眉間に深い稲妻が走った。

「台輔がおっしゃるには『義理ちょこの返しはくっきーだ。本命には飴だろう。「ごめんねお返し」は

ましゅまろで、「君こそ本命返し」がばばろあなんだ。物を贈るのでも手巾はごめんねお返しの意味に

なるから物ならなんでもいいわけじゃない』…と」

楽俊は上を見上げたまま、ふぅ、と肩を落とした。

「おいらは困りました。もし自分の気持ちと違う意図で受け取られては相手を傷つけてしまいます。

それで、鳴賢というおいらの友達にも聞いてみました。彼も沢山ちょこれぇとを貰ってましたから…」

楽俊はそこで眉を曇らせた。

「ところが、鳴賢が言うには『義理ちょこへの返しがましゅまろで、本命にはばばろあだろう。

「悪いけど返し」は飴で「本命返し」がくっきーだ。本命に物を贈るにはぬいぐるみがいい』と

いうのです………」

楽俊は縋るような瞳で、朱衡を見つめた。

「そこで、このようなつまらない事で相談をして本当に申し訳ないのですが朱衡様を頼りました。

朱衡様が玄英宮で一番ちょこを多く貰ったのだとお聞きしましたから…………!!」

「…………………………………!!」

朱衡は卓子につっぷしそうになって、なんとか全気力を振り絞ってそれを免れた。

「楽俊、それは誰から……?」

朱衡は柔和な顔に微笑みを浮かべてことさら優しく問いただした。

「延王、台輔のお二人がそのようにおっしゃっていましたが」

きょとん、とした顔で楽俊は首を傾げる。

「おいらは朱衡様がどのようにお返しをなさるのか教えて頂きたいと思ったんです。

朱衡様は大司寇でいらっしゃるし、蓬莱のことも良く御存知かと……」

真剣な顔で話す若者の姿を見て、朱衡は急にふっと怒りが突き抜けるのが分かった。

自然に笑みが零れて朱衡はくすりと笑ってしまう。

楽俊がそれを聞き止めて紅潮した顔をさらに赤くする。

朱衡は微笑した。

「私には景女王が飴かクッキーかの違いで落胆されるとは思えませんが。

景王のお気持ちを、楽俊はよく分かっているでしょう?」

朱衡が訊ねると、楽俊はますます赤くなって俯いた。

「それは、きっと景王も同じはずですよ。それに、楽俊がバレンタインデーを良く知らぬことも

分かっているでしょうしね」

楽俊は目を上げた。不安そうな目を受け止めて、朱衡は頷いた。

「贈り物というのは気持ちの問題であって、形ではないでしょう? 相手が受け取って喜ぶだろうなと

思うものを贈ればいいのであって、相手の気持ちに添えない場合でもそのように心を砕いて

接すれば、物がなんであれ分かってもらえるはずです」

「…………そう、ですね……」

楽俊の顔に淡く安堵の表情が広がった。

「そうですね。おいら、何だかすごく難しく考えていたかもしれません」

ほぅ、と息をついて楽俊は僅かに笑った。

「本当は簡単なことなのですよ。気持ちが最初なのですから」

「はい」

朱衡の言葉を噛み締めるように深く頷いて、楽俊は目を細めた。

それから、きちんと朱衡と目を合わせると、丁寧に一礼した。

「すみませんでした。お時間をとってしまって…くだらない事だと分かっていたんですけど、どうしても

答えが欲しくて………」

蓬莱のことだったからだろう、と朱衡は思った。

楽俊は本当に俊英だ。それ自体が内包する真実を極めて正確に見抜く力がある。

けれど、彼にとって見ることも触れることも出来ぬ蓬莱とはまさしくおぼろげなもので、

それ故に不安にさせられるのだろう。ましてや、それが色恋に関わるものとなればなおさらに。

「いいえ。またいつでもいらっしゃい。いつぞやのように市井の視察もお願いしたいですし」

「ありがとうございます」

楽俊はぺこりと頭を下げた。

朱衡は楽俊と共に門まで行き、去っていくその背を見送った。

本当に良い青年だと思う。

慶にやらずに雁に欲しいのだが、と思って朱衡はふと眉をしかめた。

「あの二人がいたら、慶に行きたくなるか……」

呟くと、朱衡は優しい顔に壮絶な笑みを作った。

「さて、と…………」

 

 

 

朱衡の怒りが玄英宮に吹き荒れるのは、それから数日経った後のことだった----------。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

了.

2002.3.14.


『逢瀬』のホワイトデーバージョンです。(苦笑)
女性はチョコ一つだけだけれど、何故か
男性の場合は色々あるんですよね。不思議。
で、その色々にちゃんと意味があるんだけれど、
地域性や時代によって全部意味が違う。(笑)
真実を知っている方、いらっしゃいましたら
どうぞ是非御一報くださいませ。(^^;



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